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【創成者の街】第一話『memory』その4
 夜の暗闇を彷彿とさせる程の黒を持ち合わせた羽毛の中にまみれた瞳を光らせたトトは、その眼光で弥生を見据える。

「お前も身に覚えがある体験だと思うぜ?このアホ野郎に忘れられることなんてよ」

 彼の翼がまっすぐ創介の顔に向く。

「え、な、なんか僕やっちゃったかい?」

 話の内容を全く理解していない創介はきょとんとした様子でトトを見つめる。
 しかし、トトはそれを無視して話しを進める。

「まあ、普通前日に会ったのにその事実をよく覚えていないなんてよくあるだろうと思うけどな、コイツの場合はまるで何もなかったように完全にすっぽりと抜け落ちてんだよ」

 トトはクルッと半回転し、創介の方に体ごと向き直す。

「創介、お前に質問するがこの女の名前言えるか?」

 感情の抜けた機械的な動作のように、トトは創介に質問する。
 きっとトトは私に創介の記憶力を教えてやろうとしているんだろうとすぐに分かったが、いくらなんでもほんの十分前まで一緒に食事をしていたんだ。そんな相手の事を忘れているなんて、流石にありえないだろうとたかをくくる。
 私は自分の名前を呼ばれるだろうと期待しながら創介の方に顔を向ける。

「もちろん、知ってるよ。ええっと……」

 しかし、彼の表情は次第にぎこちない笑顔に変わっていき、その言葉の続きはいつまで経っても現れなかった。
 その様子を見たトトはフンッと鼻で笑って体毛と見分けのつかない程の黒い瞳を細めて私を一瞥する。

「やっぱり覚えていないみたいだな」

「いやあ、いつから僕の家にいたのかは知っているんだけど、なんて名前だったかだけはどうにも思い出せなくて……」

「思い出せないんじゃなくて、何も残ってないからだろうが」

 そういったトトの様子はどこか不機嫌にも見える。
 彼のその態度に創介も困った様子で後頭部を軽くかきむしる。
 そんななか、私は何もすることができずただただ彼らの会話を観察することしかできない。

「まあ、いつもの感じでいけば、記憶が抜け落ちた瞬間のことも覚えてないんだろうがな」

「う、うん……」

 申し訳ないという気持ちはこもっているんだろうが、ぎこちない笑顔にそのえいいが邪魔されている。

「ったく、おまえはいつもそうだな。へらへらして何考えてんのか分かったもんじゃない」

 トトの言い方だとずいぶんと程度がはなはだしいように感じるが、実際はそうでもないと私は思う。ただ単純によく笑う性格の人なんだと思うんだけど、トトのように長いこと一緒に暮らしていると流石に嫌な所も見えてくるんだろうか。

「まあ、つまり俺が言いたいのは、コイツが他人に対する記憶能力が皆無なのは癖みたいなもんで俺たちがどうにか出来るもんじゃねえんだ。だからどうにかしてコイツの記憶の中にいようとするのは諦めろ」

「うん………」

 わたしもそれくらいは何となく予想は出来ていた。多少の可能性としてわたしの頭の中に見え隠れしていた。

 だからと言って素直に諦めきれるかと言ったらそうもいかない。初めてこの街に来てつながりを持った相手から忘れられるなんてのはわたしにとっては耐えられなかった。そんなに簡単に捨てられるほど、わたしは人とのつながりを軽視なんてしていない。

「それと、こんなふうになっちまった創介を許してやってくれ。誰にも止められるもんじゃないんだからよ」

「うん……分かった」

 でも、今の私にはトトの警告とも言える主張に抵抗できるだけの元気は無かった。


 夜もずいぶんと更けて、月明かりが強くなるのと街中の家から漏れる灯りが消えていくのが相乗効果を表しより一層街は月光を受けながら時を進めていく頃、トトは街に群がる暗闇に姿を消し、私と創介は床についていた。
 部屋の数が無いと言うことで私たちは同じ部屋に布団を並べて寝ることとなったのだが、流石に密室の中に男女二人だけという状況はこれから何が起こるのか分かったものじゃ無くて、本能的に私は創介の布団から距離を取った。

 私の布団は創介いわく、お客さん用に取っておいた布団だと言うことで殆ど使用された形跡が無く、新品さながらの弾力と優しく体を包み込む暖かさがあり、一日溜まった疲労が全て溶け出して行くような感覚を覚える。ただ、殆ど使用されないと言うのは言いかえれば長年放置されていたと言うことで、ナフタリンの独特の香りが布団に残っていて、私としては嫌いな匂いでは無いのだが、多少気になる程度には感じていた。
 敷布団から顔を出し、室内の雰囲気を肌で感じた。
 人工的な明かりがあると寝付けないと言う創介の意見で室内は電気を消して、窓から漏れる優しさと冷たさを兼ね備えた月光のみが室内を照らし、中は殆ど暗闇で満たされている。
 創介がそれほど広くは無いと言っていたとはいえ、ギリギリ布団を二人分並べられるほどのスペースは備わっているので決して狭いわけではなった。おまけに室内には作業用の勉強机にも似た木製の机やまだ中身には空席が残されている本棚が隣同士に設置されているところを見ると、元はもう一回りほど広いのだろうと思えた。

 チラと創介の方へ視線を向ける。

 彼は寝息を立てずに目を閉じているだけで、死んだように眠るとはまさにこのことだと言わんばかりに彼の周りには静寂さが漂っていた。とはいっても、彼のしわしわの掛け布団は一定のリズムを刻みながら上下しているから、本当に死んでいると言う訳ではない。

「………」

 私は本当に元の世界に帰れるのだろうか。ふとそんな事を思ってしまった。

 龍之介が私を元の世界に連れていける唯一の人物だと言うのに、私の目の前から忽然と姿を消してしまった。トトと直接会ったと言うのに説得も通じないまま逃げられたと聞いたときは、茫然と立ちつくしたものだ。許容量を超えた絶望に似た感情を抱くと、人間というのは何も考えられなくなってしまうものだと実感した瞬間でもあった。
 今はなんとなくで創介の家に居候という形を取らせてもらっているが、それもいつまでもつか分からない。《向こう》での時間の経過も気になるし、もしこちらとの時間軸がほぼ同じだとしたら神隠し沙汰になっていることだろう。

 きっと、いくら兄や姉が優秀でそちらばかりに目が向けられていたとしても、いくら私が駄目な娘だったとしても、いなくなったとしたら慌てて捜索願いでも何でも出してしまうだろう。
もしそうなったらと思うと、急に涙がこぼれ始めた。

 今まで散々母さんの期待にこたえられなかった私が、飽きることなくまた迷惑をかけることになってしまい申し訳ないと思う気持ちと、何度迷惑をかけても全く学習していないと言う自分に対する情けなさが入り混じって、それらが塊となって目からあふれ出てくる。

「……うぅ……うぅ」

 創介を起こしてはいけないから私は掛け布団を頭から被り、泣き声を極力外に漏らさないようにして私はできる限りの声量に押さえた。
 すると私の声は次第にけいれんを伴うしゃっくりへと変わり始め、嗚咽まで含み、それでもなお声量だけは小さく保つ。
 夜は本当に辛い。自分の気持ちが外の月光のみが照らす暗闇の中にあるように思え、それが自分の心にまで侵食してしまうようで、理由なしに気持ちが沈んでいく。
 後悔、寂寥、悲哀。
 静かな、それでいて激しい起伏のある感情が芽生えては消え、再び現れては淡くなっていく。
 そうしていくと今度は自分を冷静に見つめるようになり、欠点ばかりがイメージの中に生産されて、暗くなる気分にさらに拍車をかけるのだ。

「…や…よ…い?」

 背を向けた方から今にも消えて無くなってしまいそうな淡い声が、私の耳元で囁いた。
 その驚きに涙も一瞬で引いて、寝返りを打つように振り返る。
 創介の白い肌から真っ黒でハッキリとした瞳が私を直線的に見つめてきた。

「ど……どうした…の?」

 眠気をこらえながら、まだはっきりとしない意識の中でハッキリとした意味を持つ言葉を投げかける。

「何か……悲しいことでもあった?」

「何かって、その……私、もしかしたら帰れなくなっちゃっているんじゃないかって考えたら……」

「帰れ……なくなる?」
 
しかし、彼はそれでも忘れていた。
 ほんの二時間前までその話題でずっと何か対策は無いかと練っていたのに――創介は当然ながら会話にはまともに参加していないが輪の中には入っている――そのことすら、たった二時間前の会話でさえ忘れている。
 でも私は格別驚きもしなかった。落ち着いて創介のあどけなく首をかしげる表情を眺める。
 
これでようやく記憶力低下の意味が私なりに解釈できた。
 
自分の既往していること、自分の必要なモノ以外はすべて廃棄物と言ってすぐに頭から抜け落ちるんだろう。だって、自分には必要のない事柄だから。
 でも、それを突き詰めると今までの自分の経験や思い出も全部抜け落ちているわけだ。まるで何もなかったかのように、日常の中に自分を混入し続ける生活をしている自分しかいない。
 楽しかったこと、うれしかったこと、辛かったこと、かなしかったこと。その殆どが彼の世界には存在しない。
 それはあまりにも辛く、哀しいものに思える。
 振幅のない平坦な道には、非常に安全だが生まれる物もない。

 仮に私が帰れるようになったとしても、彼の前から姿を消せば数時間も経たないうちに私のことなんて綺麗さっぱり忘れている。また平坦な生活に戻っている。
それが私には悔しくも思えて仕方なかった。

「本当に、何も覚えていないんですね……」

 私は上体を起こし、斜め前を見るわけでもなく見る。それに続いて彼も上体を起こした。

「……ごめん、やっぱりそうみたいだ」

 彼なりに必死に探したんだろう。はっきりとした謝罪の気持ちが込められていた。
 今まで何度も謝ってきただろうに、おそらくそれすら彼は知らない。

「一体……私はどうすればいいんでしょうか。元の世界に戻ることを最優先にするべきなのか、それとも諦めてこっちでの生活に励むべきか」

 自然とため息が漏れた。
心の奥底に溜まっている感情を口に含んで一気に吐き出すその行為は、一見気持ちを整理するために行われているようにも思えるのだが、そんな事など全く無く、溜まった感情を余計に増幅させてしまうだけであった。

「なんか、分かんないんですよ、私が何をしたいのかを。初めは自分を変えたいと思ってこっちに来たって言うのに、いざ一日が過ぎてしまえばすぐにでも帰りたくなっちゃって。気持ちが中途半端だと結局無駄に悩んで何も出来なくなっちゃうんですよ。もっとはっきりとしていれば自分のやるべきことだってすぐに見つかるだろうに、何も残っちゃいない……」

「………」

 自虐的に無理に創介に笑いかけるけど、それも虚しく思えて仕方ない。
 気を遣わせまいと思っているのに、余計に心配をかけさせてしまう矛盾行動にさらに私は沈んでいく。
 すると、創介が体勢を変えないまま口だけを開いた。

「みんな、きっと同じだよ」

「……何が、何が同じなんですか。私の抱えてるものなんてそんな簡単なものじゃ――」

 感情に身を任せて私は創介の方に振り向くと、彼の表情と言葉に、私は続きが紡げなくなった。

「僕だって欠けている」

 欠けている、確かに創介には記憶力と言った点で普通の人より欠けているだろう。
 それが、どうしてみんな同じだと……?

「弥生が知っているみたいに、僕はいろいろと覚えることができないようになっている。でも、僕ができない事はそれ以外にもあるんだよ」

「ほ、他にも……?」

「そ。例えば僕には今まで泣いたことも怒ったこともありません。そして喜んだこともないんだ」

「え……?」

 私は絶句した。意味が分からないから聞き返したわけじゃない。彼の言ったことが信じられなかったのだ。喜怒哀楽すら欠けている。彼はそう言いたいのだろうか。

「僕が単純に覚えていないだけなのかもしれないけど、みんな口をそろえて僕にこういうんだ。『よく笑う人ですね』って。実はそうじゃない。《笑う》こと以外に気持ちを表せられないんだ。しかも『歪んだ』笑顔じゃなくて、『純粋な』笑顔だけなんだよ。僕という個体が個性を表すためにはそうするしかないんだ」

「………」

 そう言って彼は微笑を私に向ける。「自分で『純粋』なんて言うのも変な話だけどね」なんて言いながら。普通の人なら自傷的な感情をこめた笑いを浮かべるが、彼はそんな苦笑いをするほど器用ではなく、本当に幸せそうな優しい笑顔を浮かべるのだった。

 一体何が幸せなのか、私には分からない。でも、彼の本心では自傷のつもりなのかもしれない。でも、そうして自分を慰めることだってできない。

「なにも僕だけに限定した話じゃ無い。《創生者》全員に言えることらしいんだ。あくまで「らしい」としか言えないけど、それでも皆どこかしら普通じゃない。普通の人間でもなければ化け物みたいに暴れまわることだってできない。中途半端に力を持って中途半端に何かを失くして、結局は僕たちもキミも殆ど何も変わらないんだ」

「………」

「だから、さ……。僕には何も言ってあげることはできないけど、自分を卑下する事だけは止めて、また明日考えよ?もう夜も遅いし、今はトトもどこか行っちゃったから派手なこともできないしさ」

「…………そう、だね」

 創介の言葉を言い返そうとは思わなかった。むしろ私はそれを受け入れて少しばかり安心してしまった。
 もしかしたら私は心のどこかで安心感を欲していたのかもしれない。後押ししてくれる言葉を掛けられることで『そういった考えを持ってもいい』という自信を持ちたかったのかもしれない。

「それじゃあ、おやすみ」

「……うん、おやすみなさい」

 布団にもぐっていく創介の背中を見つめながら、私も布団へと埋もれていった。

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【創成者の街】第一話『memory』その3

『記憶』は人格を創り出す一つの要因。人を形成するパーツ。
 今までの経験は全て『記憶』として脳内に記録される。人はその経験を元にして何をするべきなのか、何が正解なのかを瞬時に判断できるようになる。ただ、そのスピードや正確さは人によって違う。それはそれぞれの経験の量にあり、どれだけ『記憶』として蓄えることができたかによる。つまり、人の行動は全て自らの『記憶』を頼りにしてされるものであるがゆえに、『記憶』は人格を創り出すのである。
 夢想創介は、その人の『記憶』の中に意識を移すことができた。彼のいいようでは、人の『記憶』はたとえどれほど身長があっても届くはずのない程の大きさを持つ鍵付きのタンスという器の中に収納されるモノというふうに形容する。人が自らの意識を『記憶』の中に置くとき、そのタンスに合う鍵を探しだし、中から取り出すという行動をとる。その際、鍵が古かったり鍵が見つからないと、目当ての物を見つけることができずに現実では思い出せないと言う状態になるのだ。そして鍵はその使用者が使えば使うほど、ヴァイオリンの如くより磨かれるようになる。鍵にだって風化することもあり、下手をすれば崩壊する事もある。そうなると本格的に記憶喪失に酷似した症状が出始める。その時に、創介はその鍵を修理してまた新しくさせてくれる。それが彼の仕事であり、《記憶の創生者》『メモリー』と呼ばれるゆえんだった。

 そして現在、創介は弥生の記憶の中に意識を置いている。理由は一つ。創介が弥生と出会った経験があるという記憶を見つけるためだ。ただ、慣れた相手の記憶の中なら手に取るとまでは行かずとも殆ど何処に何があるのかを把握する事はできるのだが、何せ弥生は外の世界からやってきた言わば宇宙人のような存在であるために、彼女の記憶の中は創介にとっては複雑に見えて仕方がなかった。その影響で無駄にタンスを開ける回数が多くなり、彼女にとって奥底にわざとおいておいた記憶までもを掘り起こしてしまっている。その度に、弥生はその記憶を事細かに思い出すのであった。曖昧なものでは無く、一つの物語としての記憶が彼女の頭の中で展開されて行くので、なるべく早く事を済ませる必要があった。
「………どこだろう、彼女の言う通りなら絶対あるはずだし、嘘をついていたなんて考えにくいし……」
 鍵が無数に散らばる空間の中に一人、創介は腕組みをして顎に指を当てて考え込んでいる。彼を取り囲むまっ暗闇な空間は、もうすでに慣れている。鍵が自分の存在をアピールするかのようにほのかに発光しているおかげで、完全な闇とまではいかない。
「……これかな」
 自分の存在をアピールするように発光している鍵の内一つを手に取り、軽く放り投げる。
 すると、彼の投げた鍵はそれに合うタンスのカギ穴に向けて自律的に進んでいく。
 中から出てきたのは、彼の予想通りの記憶、創介と弥生が初めて出会ってから向こうへ変えるまでの記憶だった。まだ真新しい記憶だったらしく、鍵の風化も全く起こっていない。
「………」
 創介は、無言でそれを眺める。
 当然のことだが、やはり弥生の言っていたことは嘘では無かったらしく、それでいて自分が彼女と会っていないと主張してしまったことに対して申し訳なく思った。
 そう言うことに関しては自覚していたにしても、ショックなのは隠せない。
 創介は白と黒の混ざった髪の毛をポリポリと掻きながら思案した。

            *  *  *

 創介が私の記憶から戻ってきた後、再び彼らは机を挟んで向かい合うようにして座った。
 しばらく二人とも沈黙したままそれぞれの思考を巡らしている。
 彼が私の記憶の中にいる間、本当にいろんな事を思い出すことができた。私が幼稚園にいたころ、小学生のころ、中学生、そして今。
 私もいろんな経験をしてきたんだなと思えることもあったし、思い出したくない黒歴史までもが思い出せるようになっていて恥ずかしい思いもする羽目になった。
 ただ、疑問に思うこともある。
 目の前で窓の方に顔を向けている創介は、《記憶の創生者》であるはずなのに自分自身の記憶はかなり脆いと言うことだ。てっきり『メモリー』といった肩書があるくらいだから彼自身の記憶も自分で管理出来て、記憶力も信じられないほどすごいんじゃないかと思っていたのに、単なる私の思い違いだったのだろうか。
 それにしては妙だ。
 ならばどうして彼はトト達の記憶だけはしっかりしているのだろうか。何度も出会った相手なら記憶がしっかりしているのも分からなくはないのだが、久しぶりだと言っていた龍之介でさえ存在を知っていて、前日に会話もしたくらいの相手のことを全く知らないのはいくらなんでもおかしい。
『街の住民のことだけなら誰でも知っているのだろうか?』
 といった仮説を立てても直接本人に聞く以外に確認を取る方法はなさそうだ。
 私はそう思って口を開こうとしたら、全く同タイミングで羽ばたき音が聞こえてきた。
 音のするまどの方に視線を向けると、トトが開けてくれんと言わんばかりに目つきを鋭くさせ空中にとどまっている。
 窓を開けたのは、創介の方だった。やれやれといったように軽くため息をつく。
 そしてトトの声は、窓を開けると同時に発生した。
「おい!弥生、龍之介に逃げられた!」
 威勢のいい、焦っているわけでも申し訳ないと謝罪の気持ちも待ったく感じさせないその言葉遣いに私はどう反応していいか分からなかったが、彼のいう意味な班と鳴くだけど分かる。
「えっと……つまり私は帰れなくなった?」
「そう言うことだ」
 間髪いれずに答えられ、私はその場で倒れ込みそうになる。
 龍之介が唯一のこの世界と私のいた世界をつなぐ架け橋を創ってくれる人なのに、その彼がいなくなるとしたら私はどうすればいいのだろうか。
 少なくとも可能性として考えておく必要があったはずなのに、いつの間にか無条件で彼を信用してしまったせいで全く頭になかった。
「しかもアイツは自分のいた空間と向こう側の空間との境界を消しやがったせいでその先の世界が何処なのか皆目見当もつかねぇ。まだ街にいるのかもしれないし、お前のいた所にいるのかもしれない」
「じ、じゃあ、私はどうすれば……?」
 街の知り合いなんて彼ら以外にいるわけもなく、宿だって何処にあるか知らないし、そもそも私を泊めてくれるような施設なんてあるとは思えなかった。
 宿泊代だって持っていなければ食料を買うお金だって持ち合わせていない。完全に手ぶらで来てしまっている。
 すると、トトが私の絶望に満ちた顔を呆けた顔で眺めながら口を開いた。
「しばらくここにいるしかないだろうな」
――こ、ここ?
「なあ、創介。別に女一人止めれるスペースぐらいあるだろ?」
「え、あ、まぁ。うちは無駄に広いし、一人位なんてことないと思うけど……」
 不意に話を振られた創介は戸惑いを見せたせいで若干声が裏返ったが、指をいくらか折って何かを確認するそぶりを見せて頷く。
 それを見てトトも満足そうに弥生に向き直った。
「という訳だ。これで食・住は確保できたわけだ」
 しかし、トトが勝手に満足されても私は困るだけだ。
 街の向こう側では時刻はもう遅い訳だがそれでも太陽が顔を出す頃には母親も動き始め、私の部屋にズカズカと入ってくるだろう。そうなってしまったら私が急に姿を消したことについてどう思うだろうか。下手をすれば警察に捜索願も出しかねない。
 私としては一刻も早く龍之介を見つけて元の世界に戻してほしいものだが、それはどうなのだろうか。
「ほ、本当に龍之介は見つからないの?どれだけ頑張っても?」
 恐る恐る私が聞いてみると、トトはしかめっ面を浮かべながらも感情はしっかりと保ち
難しそうな表情を浮かべた。
 数秒間の「あー」の後に言葉が現れる。
「まぁ、全力で探せば街中は探しつくせると思うんだが、あいつが境界をいじった瞬間に向こう側がチラと見えたんだよ。ありゃ俺の知らない場所だった」
 彼の口ぶりからして、探すのは諦めた方がいいと言っているのは明らかだったが、私にとってはそんな程度で諦められては困るのだ。全力を挙げてでも探してもらわなくてはそうしないでいた未来の方が怖い。
「な、何とかならないわけ?ほらあの、境界の向こう側に行けるようなモノとか……」
「そんなものあったら苦労はしねえよ」
 トトは吐き捨てるように漏らす。
「確かにアイツは《掃除人》であって《創生者》じゃねえから消去した境界を元に戻す方法なんて無いんだが、当然それを埋め合わせる輩もいるわけで。こんな状況じゃうっとおしいにこしたことは無いけど街からしてみれば境界を元に戻さないと余計混乱する羽目になるから仕方ねえんだ」
 トトは羽を広げ首を振る。お手上げのポーズを取っているつもりだろうか。
「今はアイツが俺たちの前に姿を現すのを願っているしかできないだろうな」
 ここまで完璧に反論されると言い返す言葉も見つからない。
 私自身の本音ではまだ何か手があるんじゃないかと思えるのだが、この街の事を殆ど何も知らない私がいくら考えたところでいい案が出るわけもないのだ。
 私はショックを隠しきれず両手で頭を抱え込んだ。同時に深いため息も漏れる。
「なんでこんなことになっちゃったんだろう……」
 当初ではただ自分を変えようと思ってこの街に来て、龍之介がいるからいつでも元の世界に帰れるだろうという算段を組み立てていたのに、龍之介の消失でそれが一気に崩れさることになった。
 トイレ掃除をする前に逃げるようにして彼が去っていったときも、どうせ終わったころには戻ってきてくれるだろうと思っていたのに、まったく酷い形で裏切られたものだ。
 泣きたい気持ちもあったが、どうにも泣けそうにない。もっと悔しかったり悲しかったらそうする事も出来そうなのに、それ以上にショックが多すぎて今はただため息をつくことくらいしか感情を吐き出すことができない。
 すると、いつの間にか創介が私の横に来ていて、肩に柔らかく手を乗せる。
「とりあえず、今はキミの身の安全が第一だよ。龍之介が何を考えているのかは僕たちも見当がつかないけど、だからと言ってがむしゃらに行動するのもよくないと思う」
 そう言って創介は私に微笑みかける。
 瞬間、私は恥ずかしいやらみっともないやらで彼の笑顔を直視できなくて反射的に目をそむけてしまった。
 そう言えば、創介は本当によく笑う。特定の個人の為とかではなく、本当に誰に対してでも優しい頬笑みをかける。それが彼なりの優しさであり、彼の性格を表しているのだとしたら、敵を創りそうもないその笑顔が本当にうらやましい。
「………それじゃあ……よろしくおねがいします」
 何となく言いくるめられたような気にもなったが、創介の言うことも一理あるわけで、この街の事を何も知らない私にとってはこれから訪れるであろう夜に対して何も対策が打てないんじゃあ彼らの言う通りにするしかなさそうだった。
「こちらこそ、よろしくね」
 私の言葉を噛みしめるように承諾し、彼は私の肩から手をはなした。

 それから私たちはトトを含めて一緒に夕食を取ることになった。
 私も何か調理の手伝いをしようとキッチンに足を運ぼうとしたけど、創介は客人にお世話をさせるわけにはいかないと言って彼が料理を運んでくるまでずっと机に座らされた。
 仕方がないからそれまでトトと何か話そうと思ったのだが、生憎共通の話題なんてありそうもなく、おまけにトトに至っては私の話しなんて興味が無い様で相の手が全部ハ行で済まされる羽目になった。会話のキャッチボールくらいしてほしいものなのに、これじゃあまるで私が暴投を繰り返しているような気がして結局私の方から話を切ることになった。
 しばらくして、私の座っていた無機質な机が食卓へと様変わりする。
 創介の作る料理は絶品で、身勝手ながら手伝うなんて言ってしまった自分が恥ずかしくなるほどだった。とても男性が作ったとは思えないほど繊細な味で、なおかつメリハリの利いた味付けが私の食欲を進め、気がついた時には彼らよりも先に自分の取り分を完食していた。
 そして皆の食事が終わり、もう窓の外はすっかり暗くなっていて、月明かりが街を照らしまた違った表情を私に見せてくれた。
創介は片づけの為に席を立って食器を運ぼうとしたときに、流石に泊めてもらう身だから片づけぐらいは手伝うべきだろと思って私は名乗りあげた。けどまた同じ理由で止められて、無機質に戻った机に突っ伏していた頃――
「そういえば、トトっていつから創介と知り合いになったの?」
 私にとってはただ純粋な疑問だった。
 別段トトと会話しようとか、沈黙に耐えられなかったとかじゃなくて、ふと頭に浮かんだ単語を並べたに過ぎない、言うなれば価値なんてほとんどない様な言葉の羅列だった。
 それなのに、今までのツンとした態度とは明らかに違う表情を私に見せた。
「……聞きたいか?本当に、知りたいのか?」
 それは、自分の武勇伝を語るようなほど声が踊るような調子に様変わりしていたのだが、どこかその中に微妙に悲哀の感情が含まれているような気がして、少しばかり罪悪感を覚えた。
「あ、いや、別にそんな深い意味を持って聞いたわけじゃ無くて。ただ何となく頭に浮かんだだけだから、別に気にしなくたっていいんだけど……」
 私がそう言うとトトは向きなおって一言「そうか」とつぶやいた。
 再び、沈黙が訪れる。
 そんな彼らの間に、キッチンで洗い物をする創介の陽気な鼻歌と皿と皿が接触してカチャカチャした音が通りすぎるばかりだった。
「………あのな」
 口を開いたのは、トトの方だった。彼の顔は私の方に向いているわけでは無く、視線は創介の背中を追っているように遠くを見ていた。
「人がふと頭に思い浮かぶ疑問って言うのは、そのほとんどが人間的本能の中に生まれたものだと俺は思っている。今お前が頭に浮かべた『俺と創介の出会い』ってのはいずれお前に話さなくちゃいけない事だと勝手に判断しただけだから、お前の感情は今は一切気にしないことにするな」
 確認を取るようで全く取る気のないその言葉には、どこかトトなりの覚悟をしたように思えた。
「まあ、お前にとっちゃあ俺の言うことのほとんどは驚くことばかりだと思うが、俺は嘘をつくつもりはねえもんでいちいちウソでしょなんて相の手入れずに黙って聞いていくれ」
「う、うん……」
 私の頷きを確認するようにチラと私に視線を移してから、また元に戻った。
 そして、深呼吸をひとつ入れて口を開く。
「人間ってのは自分が生まれた瞬間ってのは覚えてないのが普通だと思うが、『ラングイッジ』の俺はそうじゃ無かった。この街に生を受けたときにはすでに俺の体は黒一色で翼だってしっかりしてるわ普通に飛べるわで割と不自由なく生きていた。元々周りの変化には対応しやすい正確なもんで特に生活に疑問を持つこともないし、飯だって自分で探せば簡単に取れてた」
 キッチンから水の流れる音がし始めた。食器のすすぎに入っているのだろう。
「街の生活にも慣れて、負抜けた顔をしている輩に片っ端からちょっかいをかける事が日常になっていた頃に、俺は創介に出会った。初めて出会ったアイツは今と変わんねえくらいへらへらしててだな、コイツはからかい甲斐のある奴だと目をつけて手始めにこの家の扉の真ん前に俺の糞をぶちまけてやったんだよ。そうしたらアイツ、嫌な顔一つしねえで玄関前の床を掃除し始めるわけだ。しかも次第にエスカレートし始めてついには家中を大掃除し始めるもんだからこりゃあ変な奴に出会っちまったなって思ったわけだ」
 水流の音が消え、皿同士の接触の音が極端に聞こえ始める。
「まあ、でも俺には初めての経験だったのと、何となく逆にからかわれたような気になって俺の悪戯心に火が着いちまって直接はち合わせて驚かしてやろうとまたアイツに会いに行ったら、礼儀正しく「はじめまして」なんてあいさつしてくるわけだ。こっちにとっちゃあ面喰って一瞬たじろいじまったが、そこはまあ悪戯のプロの俺だから持ちこたえてあいさつし返したら予想以上にびっくりしやがって、鳥が喋れるってのはアイツにとっては常識じゃ無かったってことだと初めて知ったよ。そん時のアイツの表情と言ったら可笑しくてさ」
 トトは苦笑いを浮かべる。
 視線の先にいるであろう創介は鼻歌を終え、戸棚に食器をしまいはじめた。
「でだ、あの顔が忘れられなくってまた驚かしてやろうとアイツの家に来たら、今度は俺が驚く羽目になった。昨日と全く同じ反応をしやがったんんだ。あいさつから人語の下りまで全部な」
 創介は自分の片づけを終え、キッチンからこちらの部屋に戻ってきた。そして私とトトが何かを話しているのに気付き、トコトコ近づいてきた。
「………アイツ、前日に直接会って驚きもした俺のことを『全く覚えていない』みたいだったんだよ」
「え………」
「ん……?なになに?」

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【創成者の街】第一話『memory』その2,5
一人、青年が鼻歌交じりに陽気に街中を歩いていた。彼の目指す場所はこの街の一部を羨望できるコンクリートでできた展望台。手すりに囲まれていて、双眼鏡と望遠鏡が一台ずつ設置された簡素な広場になっており、時たま少年少女の遊び場にもなっていた。
 階段を上り、人々の隙間を縫っていき、ショートカットの為にコンクリートの壁を登ったりと多少無茶をして、彼は展望台にたどり着いた。
 そこにはすでに先客が一人、いや一羽が青年の姿を捉えるなり殺気を込めた雰囲気を漂わせていた。感情のある生物なら誰もが彼の側に寄りたがらないだろうと思われる。
 しかし青年はその殺気に全く動じることなく、むしろそんなものなど感じていないといったように全く持って無視したまま手すりに腕をかけた。
「……おい」
 鳥が青年に向けて声を発する。ドスの利いた低い声だった。
 青年は、その声に応じる代わりに口元を緩めた。反応は、それだけだった。
「……会話するつもりも無いってか。ふざけんのもいい加減にしろよ」
 鳥の攻撃的な口調にも、青年は動じなかった。体を揺らして展望台から見下ろす街の雰囲気に身を投じている。
 ついに鳥はしびれを切らして彼の真正面に飛び立ちその漆黒の体を見せつけた。目線は青年と全く同じ高さになっている。
「てめぇはいいことした気分になっているだろうがな、こっちとしちゃあ大迷惑なんだ」
「――ちょっと邪魔だよ」
 いつまで経っても相手にしようとしない青年の態度に、ついに鳥は完全に頭にきた。
 感情の赴くままに彼の視線を青年に突き立てる。その瞬間、鳥の体から衝撃波とも呼べる疾風が放たれ、青年の体に直撃する。
 しかし、それでも青年は全く動じなかった。一歩も後ずさりすることなく、その衝撃波を体で完全に受け切り、消し去った。
「――っ!」
 疾風が止み、それと同時に鳥の表情が驚愕で硬直する。
 その様子を見た青年は哀しい笑顔を示しながら肩を落としてため息をつき、重い口が開いた。
「《ラングイッジ》のキミが俺に『真実の言葉』を創らせようったって無駄なことぐらい分かってるだろ?俺は《創生者》の創ったものを消し去るための《掃除人》なんだよ。どうして無駄な事をしようとするのか理解に苦しむね」
「………クソがっ!」
 鳥はより一層感情を青年に突き立てるが、彼の余裕の表情は全く変わることは無い。
「なんだってこんなことをするかだっけ?まぁ、理由は簡単だよ。『変化』をこの街に与える必要があると思ったからさ。こんなありきたりの何もない、酷くつまらない世界に『変化』を与えたら一体どうなるかって試したくなってね。君だってそうでしょ?自分の仕事をこなして、暇だったら創介の所に行って来客と会話して、それでもすることなかったらもう何度も飛んだことのあるこの街の空を泳ぐ。そんな毎日決まった生活をしていてつまらないとは思わないかね。もっと刺激がほしいとか、何か変わったことがしてみたいだとか、
『外に出てみたい』
 とかね」
「――ッ!」
 口を開いたとたんに饒舌になるその青年は、かなしい笑顔から不気味な無邪気を含む笑い顔に変わっていた。
「キミも中々面白い反応をするよね。俺が予測した事を言ってみるとすぐにそうやってびっくりした表情を見せてくれる。図星って奴かな?」
「ち、違う。俺はそんな事を思ったことはねえ!」
 青年は「ふーん」と鼻を鳴らした。動揺を隠せずにいながら話す鳥にすでに説得力は無い。
「まあ、別にいいけど。もし仮にそうだったとしても、キミは彼女に会ったことで何かしらの『変化』はあったと思うよ。この世界しか知らない住民なら特にね」
 鳥の背中に冷や汗が流れる。嘴をキリキリと鳴らしてなんとかそれをごまかそうとするが、青年にはすでにそれは見抜いているように見えて鳥はさらに焦り始める。
「……街に『変化』だと?てめえの他人の考えを見抜く力だけは並大抵の人より強いと思っているからこそ勝手に言わしてもらうが、俺は『あいつ』が異常なほどにあの女に興味を示しやがったから、なにかヤバいことにつながる前に向こうに戻してやったのに、お前はそれでもまだやめるつもりはないってことか」
「だ~いせ~いか~い」
 青年は不気味に舌べらを唇の隙間からのぞかせながら笑う。
「……なんの為にだ。いや、お前には他にも理由はあるはずだ。少なくともお前は他人の為に動くような人間じゃ無いことくらい知ってんだよ」
 青年は、鳥のその言葉にだけは反応するように軽く目を見開いてヒュウと口笛を吹いた。
「流石俺よりも長生きしているだけはあるね。まぁ、俺よりも経験積んでんだから俺に諭されるだけじゃ駄目だって気付いてのことかな?」
「さっさと話せ!」
「………んもう、せっかちな鳥だね」
 今度はふてくされるように肩頬を膨らませて腕を組んだ。表情の変化だけは本当に長けているようだ。
「極論言えばキミの予測に間違えは殆どないかな。僕は僕自身の為に動いている。うん、確かにそうだ。ただ『なんとなく』彼女をこっちに連れてきた。理由なんて後付けでも十分。いちいち頭の中で考えを巡らせていたら日が暮れたって動けっこない。考えれば考えるほど深みにはまって、それこそ無限の思考が続いて行くだけ。だったら直感で行動をした方のが幸せになれると思わない?」
「……それだけの為にお前は彼女を、向こう側で普通に生きてりゃあ何も不幸なことなんてなかったアイツを連れてきたってことだな」
 ドスの利いた声をより一層強くさせて、憎しみをこめて青年を睨む。
 それでも青年はブレない。
「案外そうでもないんだなこれが」一嘲笑挟み、「絶対に手の届くはずのない才能を持つ年上と関係を持っているといろいろ苦労するってことだよ。ただの赤の他人なら純粋な尊敬の眼差しを向けることができるってのに、身内になるとこれに嫉妬が加わっちゃったりするわけで、無駄にいい子な彼女にとってはそりゃあ頭の中じゃてんてこ舞い。はたしてこれでもまだ、キミは向こうが幸せだと言えるのかい?」
「………」
 無言は、すなわち肯定。
 青年の言わんとしていることに対して、何も言い返すことができなかった。
 そんななか、青年は「それより」と付け加える。
「キミにとっては変化のことよりも彼女の安否を心配してあげるんだねぇ。そんなツンツンした性格のキミでも優しいところはあるんだね」
 青年は黒き鳥を視界から外すように体を半回転させ、手すりにもたれる。彼から流れる雰囲気がその行動によってさらに強くなっていく。
「でも、俺にとってはそんな事ど~でもいいの。他人の幸福なんて、俺にとっての幸福に比べれば切り捨てたって何も構いはしない」
 そして、自分を嘲笑するように引き笑いを浮かべて続ける。
「結局人間ってそうでしょ?他人の事を考えているとか言っておきながら心の中では自分の事ばっかり。偽善者なんて言葉があるけど、それって人間と同義じゃないのかなって思うんだよね。だから、俺はその偽善者になりきってるわけ。いや、他人が欲しいと思っていた事柄を、身を呈して提供しているわけだから、むしろ善人って言えるかもね」
「……好き放題言いやがって」
「さっきから黙っていると思ったら、絞り出せた言葉はようやくそれだけか。まぁ、普段おしゃべりなキミが急に無口になっているから必然だよね」
 青年がそう言うと、急に体重を後ろに傾け、手すりを軸として体を縦回転させて真下へと落下して行った。
「………っ!おい、てめえ!」
 鳥がその後を追いかけようと高度を下げ始めるが、すでに青年は次の行動に出ていた。
《掃除人》の持つ『境界を消す』力を利用して、彼の空間と別のどこかの場所にある空間との境界を消し、体ごと空間をワープさせたのだ。
「これ以上はあんまりキミには伝えられないからね!残りはキミ自身で答えを探してみな!」
 ついに完全に逃げられた。不気味な笑みを浮かべながら一点を見つめるその姿を最後に、姿を消した。
「…………」
 鳥は、飛ぶわけでもモノに留まるわけでもなく、存在するはずのない空間に青年の姿を探し続けた。

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【創成者の街】第一話『memory』その2
 創介の口から出た言葉は、どこかふわふわしていて、それでいてしっかりと意味を持って私の耳に届いている。
 けれども、私にはその意味のなすところが信じられなかった。
「い、いま……なんて……?」
 そう言うと、創介は首をかしげ当然の如く答える。
「『はじめまして』だよ?初めて出会う人には、こういう挨拶をするって聞いたんだけどな」
 そして、彼は優しくほほ笑む。
ああ、この笑い方は創介にしかできない。だから、彼は創介以外の誰でもなかった。
だったら、どうして『はじめまして』……?
「あ、あの……私、昨日あなたとあったはずです……。ほら、『クローゼット』の話をしたはずですよ!」
 頭の中で詮索して、何とか彼が思い出せそうなキーワードを探しそれを見つける。
 それをチャンスだと思って、私はこれ見よがしに彼に訴えかけた。
「私が『クローゼット』に落ちて来ちゃって、それをあなたが見つけて……それで、あなたは『クローゼット』を『タンス』だと勘違いしていて……そのあと龍之介にもとの世界に戻されて……」
 なんとか私は創介に分かってもらおうと言葉を紡いでいくが、断片的な記憶しか思い出せないせいで時間軸に沿った話しかできない。しかも色あせた記憶の中では細かい情景まで思い出せるはずもなく口から出た話は日本語の文法に沿った文にすらならなかった。
 それでも、創介が思い出してくれるのならそれで十分だと思っていた。
 なのに、
「……ごめん、僕はキミと会った覚えは無いんだよ」
「――ッ!」
 彼の発言が、私の口を塞いだ。驚いた拍子に一気に外気を吸い込み過ぎたせいでむせてしまう。
「な、なんで、なんで?私はちゃんと覚えているよ。その白黒の髪の毛も、その服装も、その雰囲気も……」
 その次の言葉は、私には出てこなかった。
 たった一回の出会いじゃ覚えていないってこともあり得るのかもしれないと思い始めている自分と、そんなはずはない、会ったことすら覚えてないなんてありえないと思っている自分がいて。その二人が入り混じりすぎて私の頭の中はパニックに陥っていた。
「と、とりあえず、椅子に座って。話はそれからにしようか」
 創介はそう言って部屋の中央に置かれている机に置かれていた椅子を引いた。
「………あ、ありがとう、ございます」
 私は混乱した頭のままで軽く一礼して彼の好意に応じる。
 そして創介は私と丁度真反対の位置で腰をかけた。つまり向かいあう形に座ったわけだ。
 彼は眉をひそめる。そしてもう一度首をかしげた。
「やっぱり、僕はあなたに会ったことが無い様な気がする。もしかして別人ってこともあり得ないかい?」
 そう話す創介の表情に、からかいとかそういった下心を持ち合わせたような卑しい感情は見られない。その代わりに彼の瞳はまっすぐ私に向いていた。
「…………」
 私は、何も答えられなかった。彼の様子から本心で言っていることは明らかであり、それゆえに私は何も言い返せず、たとえより多くのキーワードを彼に提示したとしても故障中のロボットのようにピクリとも反応しないだろう。
 彼が純粋だからこそ、余計に私はその純粋さが刺さった。
 真後ろで羽音が聞こえた。私は力無く振り向く。
「……とりあえず俺はまた龍之介を探してくる。その時にお前にいろいろと教えてやるから今は大人しく匿っていられてろ」
 窓際に留まっているトトは相変わらずぶっきらぼうに言い放って飛びだして行った。この重苦しい空間から逃げ出すかのように素早かった。と言っても、創介に至っては重苦しさを微塵も感じていないようだが。
「トトは、すでに何か知っているのかな?」
 彼はトトが飛び出していった窓の方を見つめてつぶやいた。まだ空中に彼の黒羽が数枚浮かんでいて彼の軌跡をたどっているが、創介はそれよりも向こう側を見つめている。
 私の目からは、私にとって見えなくなってしまったトトの姿をまだ彼の目は捉えているようにも見えた。
「……どういうことですか?」
 彼の質問を投げかけてほしそうなその言葉に対して反応する気がなかなか起きなかったが、私の頭は少しだけ冷静さを取り戻せたようでほんの少しの言葉を彼に掛けることができた。
 創介は、私のその気遣いに気付くこともなく同じ方向を見つめて肩肘をつき、ほほ笑む。
「トトっていつもそうなんだ。僕たちの一番知りたい事をわざと後回しにして、優先順位で言えば二位、三位くらいの仕事から片付けていく癖があってね。『とりあえず』なんて言葉を使うくらいだからよっぽど重要な事なんだろうと思ってさ」
 彼は最後に「それが面白くてね」と付け加えて私に笑顔を向けた。
 私は、彼のその表情に何か続けなければと焦って口を開く。
「………トトのことは、よく覚えているんですね」
 自然と口から出てきたその言葉は、本当にごく自然に出てきた。自然に出てきたからこそ、私はより一層しまったと思った。皮肉にも取れるその一文は、私の思いとは裏腹に非常に低いトーンで口から現れてきて、とりわけ理由もなしに怒っているようにも思われそうだった。
 その証拠に、創介の両目は驚きを隠せずに大きく見開いている。
「あ、ああ!そ、そう言う訳じゃ無くて、ただ、その、いろんなことを知っているんだなぁって思っただけで……!」
 必死に自分の体の前で手を振って否定の意を示すが、彼の表情は変わらない。

 ――また、やってしまった。傷つけてしまった。

 私の視界がブレる。窓の外の景色が歪み、窓のサッシが歪み、机が歪み、そして私自身も歪んだあの記憶が、私の頭の中でフラッシュバックされる。
 怒声、罵倒、暴力、恐喝、悲鳴、
 一つ一つ、丁寧に記憶のページが開かれていき、その景色は私の目の前に鮮明に映った。
 昨日の出来事のように断片的にしか思い出せないようなヤワで脆いパーツでは無く、一つの物語、一つの本のように台詞、情景から体感気温まで、いつでもその世界に飛び込めそうな程ハッキリとした地獄が、私の心をえぐる。

「――っと、だ―――ぶ?」
 遠くから声が聞こえる。人の声、その世界にはいるはずのない声が、私の耳をくすぐる。
「ね――!だい――うぶか――」
 その言葉にかき消されるように、地獄の中に存在していた物体が色あせていき、景色は薄れ、私の目の前から遠ざかっていく。
 そして最後のパーツが、完全に消滅した瞬間、
「起きて下さい!大丈夫ですか!」
 私は、体をびっくりさせながら目を覚ました。
 創介は椅子から飛び出して血相を変えながら私の両肩を強くゆすり続けていたようで、少しだけ息があがっていた。
 私の事を心配してくれていたのはありがたいのだが、ゆすり続けられていたせいで私の視界は激しく縦揺れし、脳内は軽くシェイクされていて頭がガンガンしてきた。
「ち、ちょっと、やめてください……。もう、起きました、から……」
 まだ揺れる。まだ揺れ続ける。
 とぎれとぎれに口から出る言葉は、創介の耳には届いていないようだった。

「ご、ごめん……まさか急に固まったように動かなくなるなんて思わなくって、何をしたらいいか分からなかったから……」
 創介は心の底から必死で弁解しようと軽い汗をかきながら私に訴えかけていた。
 まだズキズキする頭を押さえながら私は無理矢理笑いを浮かべて、少しでも創介の気持ちを和らげようと努力した。
「も、もう大丈夫だから……心配しないで……」
 嘘つけ。本当は大丈夫なはずない。
 でも、それでも創介の困った顔は見たくないみたいで、自分に無理をしながらも彼の機嫌を戻そうと努めていた。
「元はと言えば私が勝手に気を失いかけるのが悪いんだし、創介が気にする事は無い、と思います……。だって、私は、その……」
 そんな事を言いながら私の視線は少しずつ下へ下へと下がっていく。声の調子も弱くなっていき、次第に声にならない言葉になっていく。
 創介はそんな私を見て対照的に一瞬驚いた様な顔をしてからだんだんと表情が柔らかく穏やかになっていった。
「『記憶は人格を創り出す』って言葉、聞いたことあるかな?」
 それはあまりに唐突で私の耳には殆ど届いてなかった。そんな調子で私は思わず聞き返す。
「……そ、それって?」
「さっきどうしてああいった状況に陥ってしまったのかってことを考えてさ、一つ思いついたんだよ」
 さっき、というのはやっぱり私が急に気を失うようにして記憶の世界に意識を飛ばしたときのことだろう。自分の失態を思い出して急に恥ずかしくなった。
「人が自分の性格を形成していくときに、一番の要因って言うのは経験を元にした『記憶』なんだ。あの時ああしてこういった失敗をしたから、これはいけないことなんだといったように、経験を積んでいくことで人は学んで行く。でもたとえ学んだとしても記憶が保っていなかったらそれは結局埋もれて消えてしまう。つまり『記憶』が人の思考にとって最重要なモノになるんだ」
「…………」
 なめらかに語る創介の様子を見て、私は彼の言いたい事を手当たり次第に探すが一向にみつかる気配がない。
 彼は続ける。
「僕がキミに会ったときにはじめましてと言った。それは人の行動として当たり前のことだと『記憶』しているからに過ぎない。でも、キミはその時に他の人とは違った表情を見せた。驚いた表情の中にどこかさびしそうな感情が垣間見えた。それは僕の経験したことのない事実で、正直なところ僕も少し戸惑ったよ。この先どうすればいいのかといった経験を積んでいないからね」
 彼は椅子を引いておもむろに立ち上がった。表情は依然として柔らかかった。
「僕は元々大した『記憶』を所有する事が出来なくなっている。日々の日常に含まれた何気ない一コマも記憶できなければ、大それた事件が起こったってその事件に巻き込まれながらも少しずつ記憶が削り取られて行く。どうしてそうなったかもすでに覚えてないし、僕にとってはすでに必要のない事実だったから切り捨てられる。つまりは僕はそう言った人間なんだ」
 私は、より一層言葉を失った。瞬間的に自分が抱いてしまった苛立ちに対する憎悪が湧きあがっていく。
 記憶を保つことが殆どできない。そんな事は私は全く思いもしなかった事実だけど、それでも知らなかったからと言って創介に心配をかけさせるような態度を取って、私自身はそれにいらだってしまったことが凄く恥ずかしかった。
 それでも彼は笑顔を絶やさない。
 創介が私の隣に近寄ってきて、膝を曲げてしゃがみ私と同じ目線になった。
「でも、もしかしたら僕は『すでにキミに会ったことがあるのかもしれない』と思い始めてきて、それを確かめる必要があるんじゃないかと思ってきた。そうすればキミのその表情が自然と無くなってくれそうで……」
「た、確かめるって……どうやって?」
「僕は《記憶の創生者》。それだけじゃ伝わらないかな?」
「あ………」
 そうだった。私の目の前にいるのは、『無』から『有』を創り出すことのできる《創生者》。しかも『メモリー』と呼ばれる《記憶》のことに関する力を持っている人間。
 白黒の髪の毛にワイシャツと黒のズボンのただの青年が、本当にそう言った特別な能力を持っているなんて信じられないが、実際真っ黒に染まった鳥のトトは人の言葉を話すことができるのだ。彼だってそう言った何か特別なものを持っていても不思議ではない。
「僕の力を使って直接キミの記憶を探し出す。キミが僕と会ったと言う記憶にたどりつくようにする。そうすれば『夢想創介はキミと会ったことがある』という事実が、僕の中で消去された記憶なのか、埋もれて見つかりにくいだけなのかがはっきりするはず」
 そう言って彼は「ただ」と付け加えた。
「もしそうしたとすると、僕はキミの記憶を全て見つめることになる。キミの過去を全て見てしまうことになる。記憶というものは頭の中で整理されて収納されるけど、どこに何があるのかを知るのはその『記憶』の所有者だけだから、手探りで探す僕にとっては運が悪ければ全てを見てしまうことにつながる。誰だって見てほしくない記憶は持っているものだし、無理に見ようとは僕も思わない。だからキミは僕の行動を止める権利がある」
 創介の予想は驚くほど的確なモノばかりで、私は驚かされるばかりだった。
 そう、確かに私は人には見られていけない記憶を持っていた。そう言った経験をしてきた。よくできた兄と姉がいたからこそ、それは絶対に公に出してはいけないものだと思い続け、両親にすら伝えていない事実を私は今までずっと隠し続けてきた。
 でも、創介は自らの記憶を保つことが難しい人であるが故、他人の記憶まで頭に残しておけるかと思ったらどうもそうはいかないように思えてくる。自分が遭遇した事実さえ忘れてしまうのだから他人の記憶なんてなおさら脆いモノのはずである。
 すぐに忘れてくれるのなら、今だけ思い出してくれるのなら、私はそれで構わなかった。
 私が創介と会ったという事実がそれほどの価値を持っているモノかと考えたら疑問が浮かび上がりそうだが、それを考えても私は、
「私は、止めません」
 はっきりと自分の意思を示した。
私がそう言うと創介は私の頭に手を置いて軽く撫でた。
 さっきまで饒舌に話していた創介が急に無口になり、ただ私の頭を撫で続けるだけで私は恥ずかしくなって止めさせようと思ったが、彼の柔らかい表情を見て止める気になれなかった。
 ただ一言。
「……ありがとう」
 と、それだけは私の耳に届いてくれた。

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【創成者の街】第一話『memory』その1
 太陽が本日の役目を果たして休憩に入ったころ、私は一人で自分の部屋でずっと頭を抱えていた。かがみを見れば、自分の顔が熟したリンゴのように赤く染まっていることが分かる。
 いくら感情に身を任せたとは言え、まだ身元など殆ど分かっていない男に体を預け、それでいて彼の方もそれを拒むことなく包み込んできた。この事実は純粋な私の心に大きな衝撃を与えている。
 恥ずかしい、とにかく恥ずかしかった。
 その男、『掃浄龍之介』は私の部屋にある壁に埋め込まれた形で設置された洋服タンスの奥を街との連絡通路にするために、彼の《掃除人》としての能力を使って境界を消去して、「先に行ってるから」と言って向こう側に姿を消していた。私はいちいちクローゼットと何かしらの宿命があるのかとふと思ってしまうが、それよりも彼が見せたその時の様子は、私を抱擁したことなど全く気にしていないようで、それが余計に私の羞恥心を暴走させるのだ。
 ごんっ!
 抱えていた両手の力を抜くと額が机に衝突した。痛みは後々に襲ってきたのに私はいちいちそれに反応する事はしない。羞恥心が勝っていて、体を動かす気になれない。
 ――どんな顔をして会いに行けばいいの……。
 私は、深い深いため息をついた。体中に溜まった感情を一気に吐き出すつもりでいつもよりも多く息を吸って、吐き出したはずだった。
 なのに、あのときの光景だけは私の脳裏にしがみついて離れようとしない。
 全てをはきだしたせいで、頭の中は余計にその光景を鮮明に映し出す。
 ごんっ、ごんっ!!
 ニヒット。もう一発強い衝撃を与えて記憶から抹消しようと思ったのだが、これ以上は額がもちそうにない。下手をすればたんこぶができてしまい余計に会わせる顔が無くなってしまう。
 仕方なく、私は自傷を止めた。
 かわりに今度は私は両手のひらで頬を叩いた。痛みを感じるか感じないかの微妙な境界で絶妙な力加減を加える。これは記憶を抹消するためでは無く、自分に気合を入れるためだ。
 ――いつまでもこんなところでウダウダやってたって何も始まらない。私は自分を変えるために街に行くんだ。
 一度では足りず、ニ度、三度と顔を連打し、合計七回の喝が私の顔を直撃する。最後は気合いが入りすぎて軽く目に指が入ってしまいそうになった。
「………よしっ!」
 声にも気合いを入れ、私は振り向いた。洋服タンスを越えれば、そこには龍之介やさまざまな人がいる《創生者の街》にたどり着く。
 その事実を頭の中で何度もループさせ、気持ちを落ち着かせる。
 ためらいもニ、三度起こしたが、私はそれを振り払って足を踏み入れた。
 一瞬体中の感覚がリセットされ、瞬間的に再起動される。
 一度だけ感じたことのある空気感が、私の体を覆った。

――私は、《創生者の街》にたどり着く。

 私の体の五感が戻ってきたときには、私は生け垣の陰の前に体を伏せていた。
 場所は、滑り台やジャングルジムが所狭しと並んでいる小さな公園だった。私が見たことのある街の景色は家の積み重なった壁の景色しか思い出せなかったが、左右を見上げてみるとやはりそこには壁がそびえたっている。
 そのことで気がついた。私は街の一番下に来ていると。
 壁と壁に挟まれたその空間には区画分けのために背の高い金網がその施設を囲むように設置されており、その区画の間には幅三メートル程の連絡通路が整備されている。コンクリートで整備されているようでサイクリングにはもってこいといったような道になっていた。
 私の立っている場所はたまたま小さな公園をベースにした場所だったようで、他にはバスケットコートやバレーコート、貸出自転車の駐輪場まで存在していた。
 これだけを見ると、私のいた世界と対して変わらないと思った。
 ただ、まずいことに龍之介の姿が見当たらない。「先に行っている」とは言ったが何処で待ち合わせるとか何をするとか、そういった大事な事を全く聞いていない事を思い出した。
 ――ど、どうしよう……。
 とにかく何かしら行動に移さなければ永遠に今いる場所をさまようことになりかねない。私はとりあえず公園のその区画から外に出ることにした。
 そして、外にでて気付く。
 昨日初めて街に来たときは家で出来た壁と壁の間の空間を対して見つめることができなかったが、屋外に出ているせいで、奥まで見渡すことができた。この壁は一体どこまで続いているのだろうと、ふと疑問に思って横を向くと、それは見つかった。
「あ……ああ」
 壁の向こう側は、真っ黒に塗りつぶされていた。しかも、綺麗な水彩画で塗られた淡い絵画の上からパステルカラーの黒をぶちまけたようにその黒は異様なまでに目立っていた。その事実は私の認識を大きく変える。
 私の目に映ったそれは、『黒』という存在では無く『無』という概念だということだ。
 何かがあるとも無いとも、そういう判断すらその『無』は私にさせないようにしていた。
「あ………あ………ああ……」
 思わず声が漏れる。あまりに唐突な『無』は、その境界にある物体をトリミングすれば世界の崩壊がどのようなものかを差し示す素晴らしい資料にもなるだろう。それほどまでに完璧なまでの『無』であった。
 私の背中から冷や汗が吹き出し、心臓の鼓動も早まっていく。視界までブレ始めた。
 呼吸は乱れ、手は震え、足に力が入り辛くなってくる。
「あ、ああ……ああああ…………」
 ついに、完全に膝から崩れ落ちた。
 でも、瞬間私の背中は人の腕に支えられ、地面に衝突する事は無かった。
 そちらの方に目をやると、そこには龍之介の姿があった。
「あー、見ちまったか。まぁ、初めて見る奴はだいたいそんな反応だな」
 彼はいつも通りののんきな声で誰に言うでもなく言った。
「見ての通り、あっちはまだ何もない、『無』の世界が広がっている。あいつ等《創生者》や俺ら《掃除人》が全く手を加えていない空間が、ああいった完全な黒の世界になるって訳」
 龍之介の言葉が私の耳に届き、知り合いの声が私に安心感を引き起こしてくれたおかげで極端の動揺が少しずつ薄らいでいっていたが、まだうっとうしいほど手の震えは止まらない。
 あの黒を見た瞬間に急に体中に恐怖が覆った。なのに、自分ではその原因が全く分かっていない。理性を保てなくなった事を思えばただ単純に生物としての本能が働いただけのように思えたが、見た瞬間に黒から目を逸らそうとしなかったという事実を説明できない。
 この世界に来ると、たまに自分でも不思議に思う様な不可解な行動をとることがある。
 それは時間が経てば経つほど強く思うのだった。
「……少しは、落ち着いたか?」
 龍之介が優しく声をかける。
 私は小さく「はい」と頷いた。何とか自分の足でも立てるようになった。
 そこでもう一度確かめるように黒を見つめた。まだ背筋が凍るような思いをするが、先ほどまでの衝撃は無かった。
 ――『慣れ』……か。
 今度は、人間のその能力の方に軽い恐怖を覚えた。

「それで、今日は私は何をすればいいんですか?」
 街の一番下の層、区画間のサイクリングロードのように整備された道を私と龍之介は並んで歩いていた。
 運動用に設置された区画内では六、七歳程の小さな子供から十五歳程の自分とそこまで変わらない少年たちまでがそれぞれの遊びにいそしんでいる。そして、端の方で夫婦が二人並んで座って彼らの様子を遠くで眺めていた。
 その風景は、私のいた世界の公園の様子となんら変わり無く思えて、ふと街にいる事を忘れてしまうほど、見とれてしまった。
「ああ、まあ、結構人を選ぶ頼み事だからね。弥生だからこそ引きうけてくれると思うけど……」
 私の問いに、龍之介は歯切れの悪い言葉で返す。
 私はその様子を見て、見限られてるんじゃないかと思ってしまった。
「だ、大丈夫です!頼まれれば断ることは殆どしないのが私ですので!」
 人からの評価をつい気にしてしまう私は、空元気でも虚勢を龍之介に見せた。
 その様子を彼の目ではどう映ったのかは知らないが、それでも彼はにやりとうすら笑いを浮かべた。
 刹那、私の中で嫌な予感がモヤモヤと現れる。
「んじゃ、宜しく頼むね!」
 先ほどの歯切れの悪さとは打って変わって、ここぞとばかりに調子のよい声色を浮かべて彼は何処から出してきたのか私にデッキブラシとバケツ、それに雑巾とたわしの四点セットを瞬時に渡してきた。
「え、ち、ちょっと、これって……」
「そ、トイレ掃除。こっちとあっちとそっちのトイレを綺麗にしてもらう仕事」
 私は青ざめた。彼の指定した個所はただの小さな公衆トイレだったらよかったのに、区画分けされた中の一区画丸ごとトイレ専用に使われている場所の、しかも三か所をやらなければならないのだ。便器の数を数えると、一体いくつになるだろうか………。
「いやぁ~、流石の俺も女の子に頼むような仕事じゃ無いかなとずっと心配してたし、いざ引きうけてくれたとしても罪悪感とか生まれてきそうだったけど、キミのその様子を見れば安心して仕事を任せれそうだね」
 急に饒舌になる龍之介。口数の減る私。
 ここまで来て「いやだ」と断るわけにもいかなくて、結局私はそのままトイレ掃除をすることになってしまった。
 彼は「よろしくね~」などと言って逃げるようにその場を後にした。いや、『ように』ではなく、本当の意味で逃げていったのだ。
 私は、小さくため息をついた。
そして、落とした肩を無理矢理起こす。
――こんなところでくよくよしたってしょうがない。龍之介がいつ戻ってくるのか分からないし、今はトイレ掃除に集中しよう。
今度は、気合いを入れるための軽いため息をついた。
掃除は元々そこまで嫌いな仕事では無かったのも幸を奏したのだろうが、それ以上にこの街に来ると今まで以上に前向きになれる。
やはり周りの空気感に影響されるのだろうと自己完結して、まずは近くのトイレへと向かった。

トイレは、思った以上に綺麗に使ってくれているのと手入れがしっかりと行き届いているおかげで初見ではくる場所を間違えたかと思ったほど清潔感あふれる空間になっていた。外観も、中身も。
とりあえず、女子トイレからだと思っていつもの感覚で何気なく入っていった。
トイレの個室は八つほどあり、そのほとんどのドアが開け放しになっていたが、一番奥だけが鍵がかかっていた。
まいったなと私は思った。こういったときはどうするべきかを龍之介に聞き忘れていた。
無視して一番手前から掃除を始めてしまえばいいのだろうが、そうなったときにもし奥の個室から人が出てきたら気まずい雰囲気になるのは目に見えている。だからと言ってそのまま待っているのも時間がもったいないと思うが男子トイレから始めるのも背徳感があってできる事なら使いなれている女子トイレからやりたい。
デッキブラシの柄をわきに抱えながら顎に手を当てていると、長考しているうちにトイレの水が流れる音が聞こえた。
ああ、終わったんだと思ってホッとため息をつくと、違和感に気付いた。
鍵がかかっていると示すための表示が、いつの間にか赤から青に変わっていた。鍵を開ける音など全く聞こえていないのに、そこだけが変化していた。
そして、今度は自分の真後ろ、つまり洗面台の所に人の気配を感じて振り向いた。
物陰に残像を残すようにして、誰かが去っていくのを見た。肩からゆらゆらと揺れる長い髪の毛が私の唯一直視できたモノだった。
「……え?う、うそ。ちょっと待って……」
 思わず私はデッキブラシを捨てて人が出ていった方へと向かった。私の見間違えで無いならその人はまだそう遠くへは行っていないはず。
 気になったらすぐに行動へと移す自分の性格は度が過ぎればとんでもないことになるのは自覚しているけど、身にしみついた癖は中々消えることは無い。だから、その時の自分の行動はただその癖に従っただけ。
 なのに、目の前に映った光景は単純な癖だとは思えないほど逸脱していた。
「………あれ?……いない」
 区画整備をされている道に隠れる場所などない。それでないにしてもわざわざ人の目から隠れるようにして移動する理由が分からない。
 私の目に止まったふわふわ揺れる髪はどれだけ見回しても見つからず、殺風景な道路が続くばかりだった。
「………何だったんだろ」
 それはあの髪の毛にも言った言葉だが、それ以上に自分自身にもその言葉を投げかけた。
 
 掃除が終わるころには、街を照らし続けていた日がかなり傾いていていた。
 体中の関節が若干の悲鳴を上げているものの、清々しい気分に浸っているのは自分の中で達成感を噛みしめているからだろう。確かに龍之介の言う通り、掃除はし終わった後はずいぶんと気持ちのいい物だと実感できた。
 使用したデッキブラシとバケツと雑巾とたわし、その四点セットは私の座っているベンチの隅に並べて乾かしている。今まで遊んでいた人たちも帰り始めていたからベンチの使用方法には別段咎められる理由もなかった。誰も使用する気配がない。
 急に体中から疲れがどっと襲いかかる。今なら目を閉じればすぐにでも眠ることができるだろう。人間、完全な疲労感を味わった後はいつでも寝る準備ができるらしい。
 その法則に従って、私はスッと目を閉じた。瞳の奥から体が浮くような感覚を体験する。
 と、そのとき。
「おい……おい!」
 二度目の呼び声にようやく反応で来た私はうっすらした目でその声の方向へと目をやる。
 視線の先、真正面には蜜限り真っ黒な塊が浮いていることしか認識できなかった。
 それでも、声は私に語りかける。
「どうして、どうしてお前がここにいるんだ……」
 その声は、驚きというよりかは怒りを溜めこんだような、そんな曖昧な感情を含んでいるようだった。
 少しずつ意識は覚醒していき、私はその塊を注視した。
「と、トト……?」
 彼よりも、私の方がずいぶんと驚きを隠せないようだった。何やら今日はいろんな人と出会うものだが、彼に至ってはその内に溜めている感情の事を察してみると一番あってはいけない相手のように感じてしまう。
「お前、向こうに行ったんじゃなかったのか……?」
「あ、そ、その、向こうで龍之介と会って、話せば長くなるんだけど」
 私が『龍之介』という名を発した瞬間に、トトの顔色が一瞬にして変わった。
「いま……、『龍之介』って言ったか?」
 声色も低くなり、彼の言葉が重々しく私にのしかかってくる。自分ではまずいことは何一つ言った覚えは無いのだが、どうにもそうではないらしい。
 私は彼の問いに素直に頷く。
 すると、彼は軽く舌打ちをして私に告げた。
「ったく、お前はあれか?『他人の言うことには素直に従っちゃう人』か?他人を疑ったことも無けりゃあ従って失敗した経験もない、右に習えの人間か?」
 彼は自分の翼をはばたかせ、私の前眼に顔を近づけてきた。黒い鳥である彼の顔を間近で見るとかなりの迫力がある。
「俺がお前の前にアイツを連れてきたときに何も思わなかったのかよ。少なくとも『掃浄龍之介』は俺に嫌われてるってよ」
「そ、そんなこと言われても……」
 確かに初めは警戒心を持っていなかったかと言うとそれは嘘であるが、だからと言ってずっと疑心を持ち合わせていたかと言えばそうでもなかった。
龍之介の容姿が創介に似ていること。彼の物言い。そして会議室での出来事。
思い返せばもうその辺りで私の疑いの気持ちは完全に晴れていたようだった。
 私のハッキリとしない態度にやけが差してトトはため息をつき、吐き捨てるように私に言う。
「仕方ねえな。今日はとりあえず創介の所に案内してやる。本来ならお前をすぐにでも返してやりたいところだが、何しろ『見つかる』とやべえからな……。かくまってやれるところと言ったらそこくらいしかない」
「み、『見つかる』って、誰に?」
 私のその問いは彼の耳に届かず虚空に消えた。私を無視してそのまま飛び去ろうとする。
 ――ついて来いってこと!?
 ちょっと待ってなんて言おうとも思ったが、どうせトトは私の言葉には耳を傾けてくれないだろうと思って、そのまま付いて行くことにした。

 トトの飛行速度は思ったよりも速く、私が走って追いかけてもなかなか追いつけるものではなかった。鳥と人間なら鳥のが速いのは至極当然の結果だが、それを見越したうえで彼は付いてこいといったものと判断しててっきり私のペースに合わせてくれると思ったのに、そんな優しさなど微塵も彼からは感じられなかった。
 しかし、創介の家はずいぶんと壁の高い所に位置しているはずなのだが、トトは私にその高さまで階段を使って上れとでも言うつもりなのだろうか。
 それを想像したとたん急に私の顔から血の気が引いてきて、聞かずにはいられなくなった。無視されたら何度でも問いただせばいい。
「こっからどうするつもりなの!?あそこまで走って上れって言うの?」
「んなわけねえだろうが!」
 今度は通じたようだ。しかし、酷いいわれようでもある。
「あいつの家まで直通で行けるエレベーターみたいなのがある!もうすぐ付くはずだ!」
 そう言ってトトは急に方向を右へと変え、そのまま突き刺すように壁の方へと向かっていった。
 そちらに目をやると、彼の言った通り人を高いところまで連れていけそうな装置を見つけた。
 それはエレベーターと大それた名前をつけれるような代物では無く、人を運ぶ箱の上に紐がつりさげられており、上部に取り付けられた滑車のおかげで上っていけるような簡単なモノだった。当然その箱の周りにはガラスですら囲われておらず、外の空気を体に浴びながら上昇して行く。
「ほらっ、乗れ!」
 トトに促され私はそれに飛び乗った。トトはすでにその箱に取りつけられている装置を作動させ、私が上部へと持ち上げられていく。
 先ほどまで私たちのいた地面が少しずつ小さくなっていき、代わりに上部に存在していたぼやけた景色が鮮明になってゆく。
 はぁ、はぁ、と呼吸を少しずつ整えていき、私は何とかトトに口を聞ける状態にする。
「もう一度聞くけど……『見つかる』ってどういうこと?」
「………」
 箱の手すりにとまったトトはまたしても私を無視してきた。私は聞こえてないのかなと思ってもう一度聞き返そうと思ったがそれはやめておいた。流石に三度も無視されて怒りに耐えられるほど私の心は頑丈にはできていない。トトに口げんかで勝てるとは思えないから余計な言い争いは避けて当然だ。
「そら、着いたぞ」
 そうこう言っているうちにエレベーターとやらは私たちを目的地までしっかりと運んでくれた。創介の住む家の中につながっていて、到着した場所の目の前にあるドアを開けると初めに創介に会った無機質な部屋が現れた。当然、室内には創介がいる。
「うっす、ちょっと客人を連れて来たぜ」
 トトが真っ先に椅子に腰かけてゆったりした時間を過ごしていた創介の膝の上に座った。
「客……人?」
 創介が彼の言葉を噛みしめるように言うと、ゆっくりと椅子から腰を上げ、体中のストレッチがてら軽く伸びをする。
 彼と目があった。私は思わず背中を震わせた。こういうとき何を言っていいかいまいち分からない。
「お、お久しぶりです……」
 とっさに出た一言が、これだった。完全に場馴れしていないのが丸わかりである。自分で発した言葉なのに、急に恥ずかしく思えてきた。
 それでも、創介は私に頬笑みかけていた。私のしたことは間違っていなかったのかなと錯覚してしまう。
 そして、創介が口を開いた。

「『はじめまして』お客さん」

「………え?」


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